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シェムリアップ.アンコール SIEMREAP.ANGKOR
アンコール?トムとその内部の遺跡 ANGKOR THOM RUINS & INSIDE
アンコール?トムAngkor Thom
Late 12th - Early 13th 
King: Jayavarman VII 
アンコールトムとは、城壁と環濠に守られた巨大な都城である。12世紀後半、ジャヤヴァルマン7世により、第4次ヤショダラプラの都として造営された。一辺が3キロの正方形(正確には北側3096メートル、南側3070メートル、東側3031メートル、西側3036メートル)で、周囲の城壁はラテライトで作られており、高さ約7.5メートル。周囲の環濠は幅100メートル、深さは5ないし6メートル程度。
アンコールトムは、プノムクーレンからトンレサップへと高度を下げていく北東-南西の基軸上に位置する。そのため、北東角が高く南西角が低い。その高度差は現在で約10メートル。この高度差を利用して北東角から環濠の水を取りこみ、城内を流れて南西角のベン?トムに溜まり、ここから環濠に排出された。
都城の中心にはバイヨン寺院がある。5つの城門があり、それらには木製の扉があって夜には閉じられたという。内部には木造の王宮があって王が住み、また多数の寺院と溜池があった。ちなみにアンコールトム(大きな都)とはのちになってつけられた呼び名である。
バイヨンBayon? AAA
Late 12th 
King: Jayavarman VII 
バイヨンは、都城アンコール?トムの中心に位置する。その都城における位置や、周壁を持たない(正確にはアンコール?トムの城壁がバイヨンの周壁でもある)ことなどからも、バイヨンが特別な寺院であることがわかる。12世紀後半から13世紀にかけて、ジャヤヴァルマン七世からジャヤヴァルマン八世に至る3人の王の在位中に建設され、改変と増築が重ねられた。四面に人面(観世音菩薩といわれる)のある塔堂が特徴的なその建築様式(バイヨン様式)は、ジャヤヴァルマン七世によって建てられたタ?プローム、プレア?カン、バンテアイ?チュマール、アンコール?トム、ネアック?ポアン、タ?ソムなど、多くの寺院に共通して見られる様式である。
構造は基本的には二重の回廊と、その中心に位置する高さ43メートルの中央祠堂からなるが、増改築が行なわれたために複雑な構造になっている。第二回廊の上部には、中央祠堂とその周囲に配置された16の塔堂を巡るテラスがある。正面である東側入口には広い砂岩のテラスがあり、テラスの両脇には聖池がある。ここから振り返って東を見ると未舗装の直線道路が続いているのが見えるが、この道は死者の門へと続くアンコール?トム内の幹線道路のひとつだ。テラスを横切って第一回廊を過ぎ、内部に入ると、その内側には第二回廊があり、更に上部テラス、中央塔へと続く。バイヨンはなかなか複雑な構造になっているので、できれば平面図を手に歩きたい。構造が複雑なのは時代時代に設計が変更され追加されたからで、下から上部の周回テラスに上る途中にその痕跡を見ることができる
バイヨンの魅力はまず、岩山のような圧倒的な量感にある。アンコール?トム南門をくぐってアンコール?トム内部の深い森の中を走り、その先にバイヨンの黒々とした姿が見えてくる瞬間は、なかなかドラマチックだ。その複雑なかたちは古代の生物をも思わせる。外側回廊の壁面に刻まれた浮き彫りと、多数の観世音菩薩とされる顔を刻んだ人面塔は、どちらもすばらしい芸術作品である。アンコール?ワットがシャープな線で構成された肉薄の作品であるとするならば、バイヨンは手書きの線で構成された肉厚の作品だ。
見るべきものとしてはまず、第一回廊のレリーフがある。観世音菩薩の顔だといわれる人面塔がこれに次ぐ。第一回廊のレリーフは長大なので、絞るなら東面南側と南面東側だろう。第二回廊付近を中心として、成立過程に由来するその複雑な建物の構造を探って歩くのもおもしろい。

チャウ?サイ?テヴォーダChau Say Tevoda A
Early 12th 
King: Suryavarman II 
アンコール?トムの勝利の門を出たところに、トマノンと向かい合うようにして立つ小規模なヒンズー教寺院遺跡。十二世紀初頭にトマノンと同様、スールヤヴァルマン二世によって作られた。建築様式もトマノン同様のアンコール?ワット様式である。道路から見て左方向(東側)が正面にあたる。東塔門壁面のレリーフはすばらしいものだ。東塔門の東側には空中参道、砂岩のテラス、かつての参道跡が残る。参道の両側にはプレア?カン西参道のように灯篭のような境界石が並んでいる。
いずれの建物もひどく崩れた状態にあったが、中国の支援による修復作業が進み、かなり見やすくなった。2004年2月現在、祠堂と空中参道の修復はほぼ終わり、南側経蔵の修復が進められている。

タ?ケウTa Keo A
Late 10th - Early 11th 
King: Jayavarman V 
1000年ごろ、ジャヤヴァルマン五世の国家寺院として建設が開始されたが、王の死によって工事が中断され放置された。そのため、砂岩の構造材が積み重なって露出したままになっている。当時の寺院がどのようにして作られたかを知ることができる貴重な遺跡だ。石組みは精巧で隙間もない。山岳型の寺院(Temple Mountain)であり、中央祠堂の地上高は20メートル以上ある。
寺院は、現在は水のない環濠の内側にある二重の周壁に囲まれていて、どちらの周壁にも東西南北の四方向に塔門がある。外側の周壁は東西約120メートル、南北100メートル。基部がラテライト、上部が砂岩でできている。内側の周壁は東西約80メートル、南北75メートル。高いラテライトの基部の上に内側に開いた砂岩の回廊が乗っている。発展の初期段階にある回廊は狭く、外側には閉じ、内側にのみ窓が開いている。内側の周壁の内部には三層に高まる中央の基壇があり、その上に中央祠堂と四つの副祠堂が立つ。工事の中断された状態を最もよく示しているのはこれら五つの祠堂である。タ?ケウに行くと通常、車もバイクタクシーも売店などの並ぶ南側に着く。そこが現在の「正面」で、皆が南側から入っていく。しかし本当の正面は右手に回った東側にある。東側はさびれた印象だが、参道跡と境界石が残っている。参道は東に伸びて約五百メートル離れた東バライ西岸に達しており、突き当たったバライの堤防上には十字型の平面を持つラテライトの小さな遺構がある。あたりはヤブで眺望は期待できない。なお東バライへの道は一般には近づかない方がいいだろう。中央祠堂まで登って東を見ると、この東参道が確認できる。ちなみに外周壁東塔門を入った内側の左右には長方形の建物の遺構があり、更に内周壁を入った左右には経蔵がある。
タ?ケオの印象はいわばコンクリート打ち放しの近代建築である。砂岩の構造材が巧妙に積み合わされた景観に、現代に通じる造形の美しさを感じる。

トマノンThommanon
12世紀初頭にスールヤヴァルマン二世によって作られたヒンズー教寺院。アンコール?トムの勝利の門を出て東に数百メートル進んだ左側にあり、道を隔ててチャウサイ?テヴォーダと向かい合っている。現在観光の対象となっている遺跡の中では最小の部類に属する。フランス極東学院による修復が終わっていて遺跡としての状態もよく、快適に鑑賞できる。
復元されたのは高い基台部の上に乗った祠堂と拝殿、それに東西の塔門と東テラス、周壁の一部、それに経蔵などだ。現存する遺跡の東端にはかわいらしいテラスがある。他の遺跡で見られる最大のテラスはたぶんアンコール?ワットの十字型テラスだろうが、大きさは違ってもテラスとしての印象が似ているのは面白い。ここから何度か階段を上り下りして東塔門、拝殿を経て祠堂へと進んでいく。経蔵は南北対称ではなく南側だけにある。なお道路から建物に向かう手前にあるちょっとした窪地にも注意してほしい。ここはかつての環濠の跡である。ちなみにトマノンの建築は円錐形の塔、十字型テラス、繊細なリンテルやデヴァターなどを特徴とするアンコール?ワット様式である。

アンコールワットAngkor Wat AAA
Early - Mid 12th 
King: Suryavarman II 
アンコール遺跡群の中で最大級の規模を誇る、アンコールを代表する寺院遺跡。スールヤヴァルマン二世により、12世紀の前半から半ばにかけ造営された。ヒンズー寺院として建てられ、王の死後は霊廟となり、のちに仏教寺院に衣替えした。
全体の大きさは東西1500メートル、南北1300メートル。周囲の環濠は幅190メートル。正門にあたる西塔門から東に伸びる西参道は長さ350メートル。途中 の両脇には経蔵と聖池がある。
西参道東端からは十字型テラスを経て第一回廊に至る。寺院の中心部はピラミッド型に順次高まって行く第一、第二、第三の三重の回廊と、十字回廊、二組の経蔵、それに中央祠堂からなる。最上部の第三回廊の四隅には尖塔があり、中央には最大の中央祠堂の尖塔が立つ。その高さは地上65メートル。かつては第二回廊の四隅と西塔門にも尖塔があったが、いずれも崩落した。

タ?プロームTa Prohm AAA
Mid 12th - Early 13th 
King: Jayavarman VII 
東西1000メートル南北600メートルという、ラテライトの周壁に囲まれた広大な敷地内に、12000人以上が暮らしたといわれるひとつの都市のような仏教寺院遺跡。寺院建築としては平面展開型でバイヨン様式に属する。12世紀にジャヤヴァルマン七世が母の菩提を弔うために建てたという。長大なラテライトの外周壁に囲まれた広い敷地の内部は深い森である。その中にある寺院の幾重にも周壁に囲まれた中心部には崩れ落ちた石材が散乱し、榕樹が林立している。
通常の入口は小回りコースに面した西門である。この門は裏門にあたる。ここはラテライトでできた外周壁上の西塔門で、バイヨンのように観世音菩薩の顔が四方に刻まれている。ここから森の中をしばらく歩くと第四周壁の西門に至る。第四周壁はラテライトで、その西門は砂岩でつくられている。更に第三周壁の西塔門をくぐる。左右両翼がある立派な塔門である
左右には第三周壁を囲む環濠の跡がある。次の第二周壁はラテライトでできている。内側は回廊になっていて、砂岩の屋根が乗っている。回廊には巨大な榕樹がのしかかるように根を這わせている。一般にタ?プロームの景観として紹介されるのはこのあたりだ。
第二周壁と第一周壁の間には崩れた石材が散乱している。第二周壁の東側塔門の内側には巨大な榕樹のからみついた光景が見られる。その先をしばらく歩くと、現在はひどく崩れた外周壁東塔門に至る。この塔門を出て南に歩くと、バンテアイ?クデイの外周壁西塔門までは程近い。
タ?プロームの雰囲気を特徴づけているのは、寺院遺跡そのものというよりも、いたるところに見られる榕樹の巨大な姿だろう。榕樹は大変に高い樹木で、樹冠の部分を除いて枝がない。白くなめらかな樹皮が不気味にも感じられる。その根は寺院の石材の間に入りこんで、肥大化しながら遺跡を破壊していく。遺跡に熱帯の異様な樹木がからみつき、締め付けて破壊してゆく光景は、多くの観光客がアンコールに期待してきた光景そのものだ。密生する樹木のためにタ?プロームは昼間でも薄暗い。キーキーと鋭く鳴く鳥の声も不思議な雰囲気を強調している。

 

プレア?カンPreah Khan A
Late 12th 
King: Jayavarman VII 
12世紀にジャヤヴァルマン七世によって作られた、アンコール地域でも有数の規模を誇るバイヨン様式の仏教寺院遺跡。平面展開型の寺院だ。その名は「聖なる剣」を意味する。その規模は東西820メートル、南北640メートルに及ぶ。位置づけと役割から見ると、ジャヤヴァルマン七世の父を祀るという意味では同じくジャヤヴァルマン七世の母を祀ったタ?プロームと一対とも考えられる。周囲には多くの人が住んだだけでなく、大学のような役割を果たしていたという。アンコール遺跡の中でも最大級の規模を持ち、入り組んだ内部の回廊や崩れ落ちた遺跡の景観、そして多くのデヴァターなど、見るべきものが多い。回廊を複雑に組み合わせて展開しており、全体の規模が大きいにもかかわらず、中央の祠堂は歩いていても気がつかないほど小規模だ。東西南北を結ぶ主通路も狭い。内部を迷わずに歩くには詳細な遺跡平面図が必要だ。
プレア?カンへは、西参道からのアプローチが一般的だ。西参道は正面ではないが、大部分の訪問者が西側から訪れている。大回りルート上の順路として使いやすいからだ。西参道の両側には灯篭のような境界石が並んでいる。その先には環濠があり、環濠の内側には外周壁の西塔門がある。ここを入ると左側には遺跡に関する展示施設がある。更に森の中の道を二五〇メートルほど東に進み、ラテライトでできた第三周壁の西塔門に達する。この西塔門自体は砂岩でできている。ここから先が寺院の核心部だ。塔門をくぐってから狭く長い通路を一直線に歩いて行くと寺院中心部を抜けて反対側の東塔門に達する。この通路の途中にはいくつかのリンガが安置されており、また複数の回廊と交差している。
正面入口にあたる東塔門は中央の塔門の左右に塔門を配した立派な門で、南側の塔門付近にはタ?プロームで多く見られる巨大な榕樹(英語ではSilkCotton Treeと呼ばれる)がからみついている。東塔門の正面には広大な砂岩のテラスがある。ここから更に東へ、本来の正面の参道である東参道が続いている。

ネアック?ポアンNeak Pean A
Late 12th 
King: Jayavarman VII 
12世紀にジャヤヴァルマン七世によって、ジャヤタターカの中央に浮かぶ正方形の島の上に建設された。建築様式はバイヨン様式に属する。他の遺跡とは違い、中心となるのは池そのものだ。方形の池の中心には円形の基壇の上に建てられた塔堂があり、二匹のナーガが基壇部を取り巻いている。またヒンズー説話に登場する聖なる馬ヴァーラハの石像が、祠堂東側の池の中に立っている。中心の大きな池のまわりには四つの小さい方形の池を配し、これらの池にも小さな祠が付属している。それぞれの池の背後に迫る森の中にはラテライトでできた小さな祠がある。ヒンズー教説話を具象化した説話的?物語的空間の創造という、アンコール期の宗教施設の役割を最も濃厚に感じ取れる空間だ。中央の池は乾期と雨期では景観が一変する。雨期には満々と水をたたえ、その水面に中央祠堂が影を落とすが、乾期には水は干上がり、中央祠堂に歩いて上がっていけるようになる。
ネァック?ポアンは物語的?説話的空間として最高の遺跡のひとつだ。目に見えるものといえば五つの方形の池であり、幾何学的な美しさを感じるものの、驚異的な造形というほどではないし巨大でもない。しかし控えめに配置された小彫刻群が物語空間の効果を高めている。昂揚ではなく抑制が、発散ではなく回帰がこの場所にふさわしい。ものを考えるにいい場所だ。

?ソムTa Som A
Late 12th 
King: Jayavarman VII 
ジャヤタターカの東の岸辺にあたる位置にある、比較的小さなバイヨン様式の仏教寺院遺跡である。アンコール地域にはジャヤヴァルマン七世によって作られたバイヨン様式の仏教寺院が多数あるが、タ?ソムもそのひとつだ。その建設は12世紀終わり頃である。道路側(西側)に人面のある小さな塔門(外周壁上にある)があり、ここを入って進んでいくと、かつての環濠跡を超えて内周壁の西塔門にいたる。更にその先には回廊があり、その中央に中央祠堂がある。一般には回廊の周囲を歩いて見て歩くことになる。雰囲気のいいこじんまりした遺跡だ。更に森の中を東に歩くと外周壁の東塔門がある。東塔門の上部には木がからみついている。周囲は森であり、付近の散策は気分がいい。天気のいい日には木漏れ日がとてもきれいだ。

その他寺院遺跡
East Mebon A
Late 10th 
King: Rajendravarman II 
Pre Rup A
Late 10th 
King: Rajendravarman II 

Srah Srang A
Mid 10th and Late 12th 
King: Jayavarman VII 

Banteay Kdei A
Late 12th - Early 13th 
King: Jayavarman VII 

Prasat Kravan A
Early 10th 
King: Harshavarman I 

プノム?バケンPhnom Bakheng AAA
Late 9th - Early 10th 
King: Yasovarman I 
プノム?バケン山頂に残るヒンズー教寺院遺跡で、その建設年代は9世紀末。ヤショヴァルマン一世が築いた第一次ヤショダラプラ都城の中心寺院として建設された。自然の丘に対して大規模な土木工事を行い、ふもとの周囲には堀や周壁を作り、山頂部では大規模な造成を行って寺院を作り、また山上にいたる参道を作った。
高さ65メートルの丘の上に六層の基壇をピラミッド型に築き、その上に5つの祠堂がある。中央の祠堂が最も大きいが上部は崩落している。各層の基壇を貫いて東西南北にとても急な階段があり、その両脇には小さな祠が立ち並んでいる。東側の基壇部に登る手前には左右に経蔵が見られる。西側には合計で十棟のレンガ造りの小さな付属建造物が並んでいるが、いずれもかなり崩れている。かつては東西南北の四面それぞれにほぼ同様の付属建築物が立ち並んでいたわけで、この西面の様子から全体像を想像できるだろう。
山上寺院の建築様式はバケン様式と呼ばれる。バケン様式では砂岩が多用されるようになり、その表面のレリーフも華麗になってゆく。同様式はプノム?クロム、プノム?ボックにも見られる。かつては山上の寺院と丘のふもとを結ぶラテライトの長く急な階段が、東西南北の四方向に作られていた。また丘を取り囲むように東西650メートル、南北440メートルの環濠と土手があった。また丘の周囲にはレンガ作りの寺院が丘を取り巻くように配置されていた。現在、東側の参道跡は観光客にとってのメインストリートになっているが、階段は全て失われていて、岩肌の露出した悪路であり危険でもある。北側参道の階段はプラサート?バイのすぐ西側にあり、こちらにはほとんど人が訪れない。大きくて立派な獅子が残り、ラテライトの階段も一部が残っていて、かつての景観を想像できる。西側と南側の階段は消失している。
夕日見物だけではこの重要な遺跡がかわいそうだ。ピラミッド型寺院の構成を確かめるためには基壇の周囲を歩いて回ってみたい。陽射しのきつい誰もいない正午にこの遺跡を訪れることをすすめる。山上からはアンコール?ワットのほか、南にプノム?クロム、東にプノム?ボック、北東には遠くプノム?クーレンを望むことができる。

バンテアイ?スレイBanteay Srey AAA
Late 10th 
King: Rajendravarman 
967年に作られたヒンズー寺院で、ラージェンドラヴァルマン二世の時代に建設が開始され、次のジャヤヴァルマン五世の時代に完成した。
アンコール?ワット、アンコール?トムを中心とする遺跡の集中地域から離れており、この遺跡に行くには片道1時間ほどかかるが多くの訪問者があり、行った人の評判もいい。ちょっと見て歩くだけでへとへとになる巨大なアンコール?ワットに比べると宝石のような小ささで、見るのも楽だ。その小ささのために、訪間者が集中する午前中は混雑して悲惨な状態になる。誰もいないバンテアイ?スレイに出会うためには、早朝か夕暮れ間際に行くしかないだろう。
保存状態はかなりいいが、1930年ごろに修復されるまではひどく崩れていたらしい。2001年から祠堂と拝殿の載る基台部の周囲にロープが張られ、それ以上近づくことはできなくなった。残念だが遺跡保護の面からは当然の選択だろう。今までが自由すぎたのだ。
バンテアイスレイは実在する寺院ではあるが、いわば工芸品でありミニアチュール(細密画)である。遺跡としては小さい。その第一の印象は、素材として選択された赤い砂岩の色彩から来る「赤さ」であり、次に接近してみてその装飾的な「密度」が驚異的であることに気づく。アンコー笈竦?の中で群を抜くレリーフ加工の技術と、その「実装密度」に加えて、特異で強烈な色彩が強い印象を与える。このような「作品」がアンコール期の早い段階で登場したことはおどろきだ。

ロリュオス遺跡群 Roluos GroupRoluosAA

プレア?コーPreah Ko A
Late 9th 
879年、インドラヴァルマン一世によって祖先の菩提を弔うために建てられたヒンズー教寺院である。現在見ることができるのは遺跡の核心部のみだが、その周囲には東西500メートル、南北400メートルの環濠に囲まれた広大な寺域があり、寺院の背後にはかつてインドラヴァルマン一世の王宮が存在したという。現在観光の対象になっているのは、中心部にあるレンガ作りの祠堂群のみだ。
祠堂群には二重の周壁があり、外側の周壁は東西97メートル、南北94メートル。内側の周壁は東西58メートル、南北56メートル。いずれもラテライトでできている。通常は東側から接近し、第一周壁の塔門、第二周壁の塔門をくぐって中心部にある六つの祠堂に至る。祠堂群は周囲を砂岩の刳(くり)型で飾った共通の低い基壇の上に建てられている。基壇の東側には三つの階段があり、それぞれに対するようにナンディン(シヴァ神の乗り物である聖牛)の像が配置されている。西側には階段がひとつだけある。六つの祠堂は前列三、後列三のふたつのグループに分かれて南北方向に配置されていて、いずれも東が正面になっている。
見所のひとつは祠堂壁面に見られる漆喰の装飾だ。植物系の文様やカーラなどの繊細なレリーフは見ごたえがある。カーラは寺院のまぐさや破風にしばしば見られるクメール建築の代表的なモチーフだ。インド神話に登場する「時間」を象徴する神で、死神「ヤマ」(閻魔)の別名でもある。カーラはチャンパやインドネシアの建築にも見られる。
砂岩に彫刻する技法が行なわれる以前は、建物のレンガの壁面に分厚く漆喰を塗り、その表面に文様などを刻む技法が一般的だった。建築材料としての漆喰は石灰を主な原料としていて、加工しやすい反面、傷みやすい。現存する漆喰の装飾としてはプレア?コーの祠堂壁面は代表的なものだが、大半が剥離していて、ごく一部だけが原型をとどめている。

バコンBakong A
Late 9th 
King: Indravarman I  
881年にインドラヴァルマン一世によってロリュオス都城の中心寺院として建てられた。アンコール期における寺院建築の進化の過程において、砂岩でつくられた大型の山岳型寺院として最初のものだ。建築としてはプレア?コー様式に属する。基壇(特に第一層)の重量感に比べて中央祠堂が小さく軽く感じられるその構成も、進化の一過程としてとらえられるだろう。中央祠堂付近からの眺望はすばらしく、人工の山と呼ぶにふさわしい。
東側から入って行くと参道脇にナーガが見られるが、直接地面に置かれているように見える。このナーガには様式化が進む以前の原初的な荒々しさを感じる。バコンの環濠は、現在は草に覆われて湿地のようになっている。環濠はラテライトでできた低い周壁に囲まれ、また水中に下りる砂岩でできた階段があったが、東側参道両側にその一部が残っている。
環濠を渡ったところに周壁があり、更にその奥にも周壁跡がある。途中右側には仏教寺院が、左手には小学校がある。基壇部にいたる手前左右には、砂岩でできた建物が整然と並んでいる。更に進むと、正面には重量感のある五層の基壇がピラミッド型に高まり、その上に細身の中央祠堂がひとつ立っている。中央祠堂壁面にはデヴァターが見られ、そのまろやかな曲線主体の姿はなかなか美しい。最上部のひとつ下、下から四層目には十二の小さい塔堂が中央祠堂を取り囲むように配置されている。
基壇部も中央祠堂も砂岩で覆われているが、中央の基壇の周囲を取り囲むように立つ八つの祠堂群はレンガ作りである。また環濠外側の林の中にも、それぞれが固有の名前を持つレンガと砂岩の小祠堂群が、中央の祠堂をぐるりと取り囲むように立っている。これらの中では南側に残る祠堂がもっとも状態がいいようだ。こうした寺域の広がりを確かめるのも、バコンの規模と構成を知るのに役立つだろう。

Lolei ?A
Late 9th 
King: Yasovarman I 
Banteay Samre ?A
Mid 12th 
King: Suryavarman II 

プノム?クーレン山Phnom Kulen A
9th 
King: Jayavarman II 
週末になると地元の人たちもピクニックに訪れる避暑地。水辺や滝で遊ぶ子供たちを見ながら、滝や川床のリンガの彫刻を眺めることができます。また、巨大な砂岩を掘り出した涅槃像や修復されていない多くの遺跡物も見ることが出来ます。
トンレ?サップTonle Sap Lake AA
トンレサップは魅力は、まず、その景観である。自然のままの、原初的な雰囲気を漂わせる。しかし実際には豊な漁場であり、生活臭に満ちている。次に、その「生態」である。トンレサップは「呼吸する湖」であり、季節によって大きさを変え、その結果、周囲の景観を変化させる。湖自体が生き物のようにも感じられる。